The Business Support Report 2024年6月1日号
時間が合えば、臨済宗大本山建仁寺の座禅会(千光会)に参加するようにしています。原則毎月第2日曜日の朝に行われています。参加費用は無料です。20分の座禅を2回行い、「般若心経」「白隠禅師座禅和讃」「四句誓願文」の提唱と建仁寺管長小堀老師の法話があります。5月の法話は、無門関第38則 「牛過窓櫺」でした。この法話を皆様にお伝えする力が私にあるかどうか疑わしいところですが試みてみます。五祖法演禅師が説法して言うには、「たとえば水牛が格子戸の外を通り過ぎるように、頭がとおり過ぎ、角が通り過ぎ、四つ足、体が通り過ぎた。さて、どうして尾巴(びは=しっぽ)だけが通り過ぎる事が出来なかったのか」というものです。禅の世界ではこの公案は、1700ほどある公案の中で、8大難透の一つと言われているそうです。公案は自らの姿勢を問います。従って水牛とは、私たち自身の事と捉えます。この公案は、10年20年と修行をした修行僧に問うています。従って、頭が通り過ぎた。思い、心、意識それが通り過ぎた。分別から無分別へ、有無の分別から空の世界へ通り過ぎた。角がとおり、体が通り過ぎた。無の世界に、空の世界に入った。なのに尾巴(しっぽ)が残ってしまった。なぜなのか、何故残るのか。尾巴は、「仏心」だと小堀老師は解説されていました。私が今まで聞いてきた法話の中では、「百尺竿頭なお1歩を歩む」というのがこの尾巴に近いのかなと思います。無門和尚は、頌(じゅ)に言います。禅定に入り何もない、無いというものも無い。しかしそこで止まっては悟りの深い穴倉に入る、止まっていてはいけない。かといって引き返したら元も子もない。この小さな尾巴子、これが全く奇怪である、と。 最初から難解な中級以上の公案の紹介になってしまいました。未だ禅定の何であるかも理解していない私が、悟りを得た修行僧に更に一層の鍛錬を求める公案の解説には限界があります。しかし、そのような世界がある事だけでも知ってみるのも人間の幅が広がるような気がします。興味があれば参加してみてください。「蘭の寺西来院」の蘭がとてもきれいでした。
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